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白山浦二代目校舎

1946年(昭和21年)~1964年(昭和39年)

2代目校舎 本館

1946年(昭和21年)2月、突然の失火により初代の校舎を失ってしまった。終戦直後の物資不足の時代でもあり再興は難航したが、在校生、教職員、PTA、同窓会が結集し資金を集め5期に渡る復興事業を成し遂げたのが2代目校舎である。

木造2階建の本館を中心とし、初代校舎よりも規模の大きな学び舎となった。

新校舎の建設と平行し、新制高等学校発足、男女共学の実施、定時性課程の設置など、本校も新しい時代を迎えた。

昭和30年代には運動部の活躍も隆盛を極める。年々女子生徒の割合も増えて行き、本校の活気は日々増していった。1962年(昭和37年)には近代的な鉄筋3階建の特別教室棟も建設された。(現在の第3校舎)

1964年(昭和39年)6月に開催された新潟国体では本校グラウンドがラグビー競技の会場ともなった。しかし、この新潟国体が閉幕した直後に発生した新潟地震により、校舎も大きな被害を受けてしまう。

 


参考資料
  1. 葦原百年史

  2. 葦原120周年史




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