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南山校舎

1899年(明治32年)~1911年(明治44年)

南山校舎

899年(明治32年)、開校の地である礎町校舎から移転してきた。元々は新潟師範学校の校舎があった地であり、現在は新潟大学歯学部が建っている。

新潟市長鈴木長蔵(本校創設者の一人)が市議会の総意を持って、県に対し旧師範学校の敷地約3000坪の無償払い下げを申請し、1897年(明治30年)県会もこれを承認し、移転新築が決定した。

校舎は学校町通側に面し、裏山(現在の新潟大学付属病院の地)はまだ松林におおわれた砂丘であり、当時「南山」と呼ばれていた。

それまでの礎町校舎に比べると大変広大な校地であったが、その後の本校の発展に伴い、より広い敷地を求め、1911年(明治44年)に、白山浦の現在地へ移転する事となる。

南山の地に校舎があった12年間を、本校の歴史上「南山時代」と呼ぶ。この間、県立移管、三校ボートレース事件、商船科の併設などがあった。二蛇両翼一星の校章も制定されており、本校が実業学校として大きく発展してゆく時代であった。

 

参考資料
  1. 葦原百年史

  2. 葦原120周年史




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