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記事一覧
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葦原同窓会
2023年3月29日
葦原同窓会
2023年3月29日
葦原同窓会
2023年3月29日
葦原同窓会
2023年3月28日
白山浦四代目校舎
2016年(平成28年)竣工 1964年(昭和39年)の新潟地震により本校校舎は大きな被害を受け、本館はじめ殆どの校舎が使用不可能となってしまう。その後、プレハブの仮設校舎でしのぎつつ、1965年(昭和40年)より復興事業として建設されたのが現在の校舎である。...
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2023年3月28日
白山浦三代目校舎
1966年(昭和41年)~現在 1964年(昭和39年)の新潟地震により本校校舎は大きな被害を受け、本館はじめ殆どの校舎が使用不可能となってしまう。その後、プレハブの仮設校舎でしのぎつつ、1965年(昭和40年)より復興事業として建設されたのが現在の校舎である。...
葦原同窓会
2023年3月28日
白山浦二代目校舎
1946年(昭和21年)~1964年(昭和39年) 1946年(昭和21年)2月、突然の失火により初代の校舎を失ってしまった。終戦直後の物資不足の時代でもあり再興は難航したが、在校生、教職員、PTA、同窓会が結集し資金を集め5期に渡る復興事業を成し遂げたのが2代目校舎である...
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2023年3月28日
白山浦初代校舎
1911年(明治44年)~1946年(昭和21年) それまでの南山校舎が手狭になったことから、商船科併設を機会に現在の白山浦の地に移転したのが1911年(明治44年)である。 それまでの南山校舎の倍以上の校地(約13000坪)に当初建設された校舎は白ペンキ塗り木造2階建の洋...
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2023年3月28日
南山校舎
1899年(明治32年)~1911年(明治44年) 899年(明治32年)、開校の地である礎町校舎から移転してきた。元々は新潟師範学校の校舎があった地であり、現在は新潟大学歯学部が建っている。 新潟市長鈴木長蔵(本校創設者の一人)が市議会の総意を持って、県に対し旧師範学校の...
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2023年3月28日
礎町校舎
1883年(明治16年)~1899年(明治32年) 礎町校舎前での卒業記念写真 (明治25年 速成科)1882年(明治15年)12月、北越興商会の会館および付属新潟商業学校の校舎として建設された。敷地約600坪(1980m2)、建坪約100坪(330m2)。建物は平屋で凹型...
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2023年3月28日
小林まこと
母校を舞台にした「柔道部物語」はじめヒット作多数の漫画家 1958年(昭和33年)生まれ。小学生の頃からマンガを執筆しており、1977年(昭和52年)新潟商業高校を卒業後、上京し望月三起也氏のアシスタントを経て、1978年(昭和53年)に「格闘三兄弟」で漫画家デビューを飾る...
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2023年3月28日
大田 浩
戦後新商の基礎を築いた第20代校長 1964年(昭和39年)、新潟県で国体(国民体育大会)を開催する事が決定し、その準備に追われていた新潟市当局は、当時新潟商業高の校長であった大田浩のスポーツに対する知識と行政手腕に期待し、新潟市国体事務局長への就任を懇願し、大田校長は新潟...
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2023年3月28日
風間栄一
日本アマチュアレスリングの基礎を築いた五輪選手 風間栄一(旧46回卒)は、戦前から戦後にかけて活躍したレスリング選手であり、のちに指導者としてレスリング競技のみならずスポーツ競技全般の普及や振興に尽力した、本県を代表する偉人の一人である。風間の残した功績については「新潟県体...
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2023年3月27日
廃校の危機と宇尾野校長の学校再建
新潟商業中興の士 1890年(明治23年) 設立母体であった北越興商会の解散により存続の危機に瀕した本校は、1887年(明治20年)、新潟区(現・新潟市)に移管され公立の商業学校となった。財政的にも明るい見通しが開け、翌年には修業年限を3ヵ年とした。...
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2023年3月27日
三校ボートレース事件
漕艇大会の判定を巡り、新潟中学校生徒と衝突 1905年(明治38年) 1905(明治38)年10月、新潟中学校(現 新潟県立新潟高等学校 以下、新潟中学)、新潟師範学校(当時)、商業学校(1906年に県立新潟商業学校と改称される)の3校が参加し、信濃川・万代橋付近で、「三校...
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2023年3月27日
商船科の設置
船員養成を目指すも僅か5年で廃止 1910年(明治43年) 1910年(明治43年)4月1日、新たに商船科課程が設置される事になり、校名も「新潟県立新潟商業商船学校」と改称された。 商船科はさらに航海科と機関科に分かれ、いずれも本科3ヵ年の上に実習年限が3年、3年半あり、計...
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2023年3月26日
白山浦初代校舎の完成
葦原時代の幕開けと、新潟商業の発展 1911年(明治44年) 学校の規模の拡大に伴ない、それまでの南山校舎(学校町通2番町)では手狭となったため、本校は2度目の校舎移転を行う事となった。場所は白山浦2丁目、現在の本校所在地である。 この地に建てられた校舎は白ペンキ塗り...
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2023年3月26日
渺茫ひらくる日本海は・・校歌制定式
90年歌い継がれる校歌の誕生 1922年(大正11年) 現在まで歌い継がれている本校の校歌は、1922年(大正11年)に制定されたものである。 それ以前には、1902年(明治35年)9月の端艇競争会に歌われた「校歌」(応援歌風のもの)や、現在第一応援歌として歌われている「北...
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2023年3月26日
大正-昭和初期の葦原スポーツ黄金期
籠球・柔道・庭球をはじめ全国制覇も数多く 大正-昭和初期 新潟商業高は部活動が盛んな事で知られているが、その始めを確認できるのは明治30年代で、談話・撃剣・端艇(ボート)・野球の4つの部があった。その後も部活動の数は増加し、特に1911(明治44年)、現在の白山浦の地に移転...
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2023年3月26日
文化部の興隆
産業調査部・音楽部・珠算部などが活躍 昭和初期 運動部の輝かしい活躍ぶりに刺激されたように、文化関係のクラブも次々と新設され、活発化してきた。クラブの組織状況も1927年(昭和2年)から10年の間に6つ(園芸、珠算、音楽、商業美術、産業調査、卓球)の新クラブが出来たが、特に...
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