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新潟国体開催

本県選手団の見事な活躍・本校生も活躍

 
1964年(昭和39年)
第19回新潟国体のマスゲーム(中学生)

1964年(昭和39年)6月6日から6日間の日程で、第19回国民体育大会春季大会が新潟市を中心として開催された。この国体は同年秋に開催される東京オリンピックのリハーサルとしても重要視され、全国から約1万8千名の選手が参加し盛大に挙行された。

「国体へ県民一致の力こぶ」をスローガンにして長い間準備を進めてきた県民は、開会式場を3万3千人が埋め尽くしたことをはじめとして、大会の運営に絶大な協力を惜しまなかった。この熱意に支えられて本県選手団は見事な活躍ぶりを示し、常勝の東京都に代わり男子・女子ともに第1位を占め、天皇杯・皇后杯を獲得した。この偉業は、裏日本と言う宿命を背負っていた新潟県民が、「やればできる」という自信と誇りを得た貴重な体験でもあった。


本校2年生も参加したマスゲーム

この新潟国体では、本校グラウンドがラグビー競技会場として使用された。また、多くの選手が本校からも参加した。生徒では剣道部・レスリング部・庭球部・バドミントン部・卓球部・重量挙部が出場権を獲得し、剣道部(山崎・金子・佐藤・阿部・萬歳)が団体第2位、レスリング部が団体優勝・個人優勝3名(52kg級堀川・58kg級佐藤・61kg級脇本)、バドミントン部が団体第1位(鈴木・神田)、卓球部が団体2位(中山)、庭球部が団体3位(湯田・赤坂)など輝かしい成果を収め、本県優勝に貢献するとともに、「名門新商」の名を全国に轟かせた。また、職員の部では、相撲(小川)、バドミントン(渡部)、バスケット(多橋)、柔道(五十嵐)、ラグビー(山田・石附)に本校職員が出場し、バドミントンが団体第1位、相撲が団体第2位の好成績を収めた。

一方、華やかな選手の陰にあって、連日多数の生徒・職員が役員や補助員として活躍した事も忘れてはならない。そのため国体期間中は学校は休校になり、1年生は大会補助員、3年生は報道機関補助員として毎日動員され、2年生も開会式を飾ったマスゲーム「伸びゆく若人」に、1年間の練習の成果を披露した。ブラスバンド部員も苦しい長期練習にたえて、開会式・閉会式で活躍した。これら補助員は楽しみにしていた国体競技をみることもできずに、ひたすら「縁の下の力もち」としての役割を黙々と果たし、大会を支えたのであった。




 

新潟国体(第19回国民体育大会)

1964年(昭和39年)、新潟県で初めて開催された国民体育大会。同年に東京オリンピックが開催される事から、秋季大会を春季大会として6月に繰上げ開催された。直後に発生した新潟地震のため、その後に予定されていた夏季大会は中止となった。2009年(平成21年には)、新潟では2回目の国体「ときめき新潟国体」が開催された。

参考資料



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