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記事一覧
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葦原同窓会
2023年3月27日
廃校の危機と宇尾野校長の学校再建
新潟商業中興の士 1890年(明治23年) 設立母体であった北越興商会の解散により存続の危機に瀕した本校は、1887年(明治20年)、新潟区(現・新潟市)に移管され公立の商業学校となった。財政的にも明るい見通しが開け、翌年には修業年限を3ヵ年とした。...


葦原同窓会
2023年3月27日
三校ボートレース事件
漕艇大会の判定を巡り、新潟中学校生徒と衝突 1905年(明治38年) 1905(明治38)年10月、新潟中学校(現 新潟県立新潟高等学校 以下、新潟中学)、新潟師範学校(当時)、商業学校(1906年に県立新潟商業学校と改称される)の3校が参加し、信濃川・万代橋付近で、「三校...


葦原同窓会
2023年3月27日
商船科の設置
船員養成を目指すも僅か5年で廃止 1910年(明治43年) 1910年(明治43年)4月1日、新たに商船科課程が設置される事になり、校名も「新潟県立新潟商業商船学校」と改称された。 商船科はさらに航海科と機関科に分かれ、いずれも本科3ヵ年の上に実習年限が3年、3年半あり、計...


葦原同窓会
2023年3月26日
白山浦初代校舎の完成
葦原時代の幕開けと、新潟商業の発展 1911年(明治44年) 学校の規模の拡大に伴ない、それまでの南山校舎(学校町通2番町)では手狭となったため、本校は2度目の校舎移転を行う事となった。場所は白山浦2丁目、現在の本校所在地である。 この地に建てられた校舎は白ペンキ塗り...


葦原同窓会
2023年3月26日
渺茫ひらくる日本海は・・校歌制定式
90年歌い継がれる校歌の誕生 1922年(大正11年) 現在まで歌い継がれている本校の校歌は、1922年(大正11年)に制定されたものである。 それ以前には、1902年(明治35年)9月の端艇競争会に歌われた「校歌」(応援歌風のもの)や、現在第一応援歌として歌われている「北...


葦原同窓会
2023年3月26日
大正-昭和初期の葦原スポーツ黄金期
籠球・柔道・庭球をはじめ全国制覇も数多く 大正-昭和初期 新潟商業高は部活動が盛んな事で知られているが、その始めを確認できるのは明治30年代で、談話・撃剣・端艇(ボート)・野球の4つの部があった。その後も部活動の数は増加し、特に1911(明治44年)、現在の白山浦の地に移転...


葦原同窓会
2023年3月26日
文化部の興隆
産業調査部・音楽部・珠算部などが活躍 昭和初期 運動部の輝かしい活躍ぶりに刺激されたように、文化関係のクラブも次々と新設され、活発化してきた。クラブの組織状況も1927年(昭和2年)から10年の間に6つ(園芸、珠算、音楽、商業美術、産業調査、卓球)の新クラブが出来たが、特に...


葦原同窓会
2023年3月26日
戦時下の新潟商業生
勤労動員と学科転換 1943年(昭和18年)-1945年(昭和20年) 昭和10年代に入ると日中戦争・太平洋戦争の影響で学校内にも鍛錬主義の教育をはじめ様々なところで軍事色が強くなってきた。 各部活動も組織再編成が行われ、国防訓練部、鍛錬部、学芸部に大別され、その中に班が置...


葦原同窓会
2023年3月26日
白山浦2代目校舎の建設
突然の校舎焼失と校舎再建の奇跡 1946年(昭和21年) 終戦からわずか半年後、本校は思いもよらぬ失火により校舎を失うという一大悲運に見舞われた。1946年(昭和21年)2月9日未明、原因不明の火災により1911年(明治44年)に建てられて以来35年間、その威容を誇っていた...


葦原同窓会
2023年3月26日
新制高等学校と男女共学
新潟商業の戦後の幕開け 1948年(昭和23年) 1948年(昭和23年)、戦後の学制改革により、新潟商業学校も「新潟県立新潟商業高等学校」として、産業経済人として必要な知識・技能の修得と見識の高揚を教育目標にかかげ再出発した。...


葦原同窓会
2023年3月26日
定時制課程中心校の歩んだ道
勤労青少年へ商業教育の扉を開く 1948年(昭和23年) 1948年(昭和23年)、戦後の学制改革により6・3・3制が発足し、本校も新制高校「新潟商業高等学校」と名を変えて男女共学を実施した。そしてこの年の6月、新制高校に定時制課程を設置できる事となったが、これは勤労青少年...


葦原同窓会
2023年3月26日
戦後の葦原スポーツ黄金時代
レスリング・バドミントン・剣道が全国に名を轟かせる 昭和30年代 戦争と校舎消失のため中断していたクラブ活動も、1948年(昭和23年)の復旧第1期工事で体育館と教室1棟の完成に伴い、再開する運びとなった。 先ず、生徒全員の希望を調査し、予算不足で力を分散できないので、少数...


葦原同窓会
2023年3月26日
文化部活動の開花
地道な活動が実り、全国大会入賞も多数 昭和30年代 日頃華やかな運動部のかげで地道に活動していた文化部がそれまでの精進の成果を開花させるようになったのも、昭和30年代に入ってからである。 旧制商業学校時代からの伝統を持つ実務関係の各クラブは、1948年(昭和28年)に始まっ...


葦原同窓会
2023年3月26日
新潟商業高校内野分校
地域に支えられた、もう一つの新潟商業高校 1964年(昭和39年) 新潟商業高等学校にはかつて、白山浦の本校に加え、内野地区に定時制の分校が併設されていた。本校の定時制を「中心校」と呼んでいたのは、内野分校と区別するためである。...


葦原同窓会
2023年3月26日
新潟国体開催
本県選手団の見事な活躍・本校生も活躍 1964年(昭和39年) 1964年(昭和39年)6月6日から6日間の日程で、第19回国民体育大会春季大会が新潟市を中心として開催された。この国体は同年秋に開催される東京オリンピックのリハーサルとしても重要視され、全国から約1万8千名の...


葦原同窓会
2023年3月26日
白山浦3代目校舎の建設
新潟地震を乗り越え、復興へ 1964年(昭和39年) 第19回国民体育大会(国体)が閉幕したわずか5日後の1964年(昭和39年)6月16日午後1時2分、新潟地方はマグニチュート7.5、関東大震災に匹敵する大震災に見舞われた。...


葦原同窓会
2023年3月26日
着帽自由化を決定
生徒による自主的な討議を経て 1969年(昭和44年) 1968~1969年(昭和43~44年)頃を頂点として全国の大学でいわゆる「学園紛争」の嵐が吹きまくり、その波は高校にも及び、幾多の高校では「生徒の政治活動」問題が発生してきた。新潟市内でも一部の高校で封鎖問題まで起こ...


葦原同窓会
2023年3月26日
情報処理科の設置
情報処理技術者試験合格者を輩出 1986年(昭和61年) 本校は1948年(昭和23年)に新制高等学校として再発足して以来、商業科単一学科のみを設置してきた。また、1973年(昭和48年)の教育課程改訂にあたり、それまでの類型制を廃止して選択制を採用したため、それ以後小学科...


葦原同窓会
2023年3月26日
校章制定と明治期の校風
二蛇両翼一星の校章の元に 1905年(明治38年) 明治38年(1905年)、帽章をそれまでの「商」から二蛇両翼一星に本校のイニシャルN・Cを配置したものに改め、これを校章として制定した。この二蛇両翼一星は現在でも本校の校章として使用されている。...


葦原同窓会
2023年3月26日
南山校舎への移転と県立移管
学校規模の拡大と発展 1899年(明治32年) 宇尾野校長の退任後も生徒数は増加を続けた。しかし、礎町の校地は狭く屋外運動場も無く、昼食休みには信濃川の堤防で遊ぶ以外になかったという。しかも学校の所在地が風俗上好ましくないという声もあり、学校移転論がおこってきた。新潟市長・...
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